武田信玄の恵林寺

2008年6月9日

乾徳山 恵林寺は1330年(元徳2年)9月二階堂貞藤の邸宅を夢窓国師により禅院に改められた。二階堂氏の祖は源頼朝の政所寄人で伊豆の武士であった。 武田信玄は1521年(大永元年)11月3日武田信虎の婿男として甲府で生まれる。戦国時代に卓越した軍略家であり 民政家でもあった。
寸暇を惜しんで知識、英どうな名僧に私淑し 臨済禅の奥儀をきわめ、「人は城、人は石垣、人は濠、情けは味方、仇は敵なり」1573年(天正元年)4月12日徳川家康を三方ヶ原で撃破したが、陣中で発病、信州伊那の小寒村で53才の波乱に満ちた生涯を閉じる。
1577年(天正4年)4月快川国師により恵林寺で大葬儀が執行され同寺に葬られた。静かななかに民のむくもりが漂う寺院を観た。
合掌 鱸 篤